ひと時のハンディキャップ体験の旅

 先日、娘の住むニュージーランドへ行った時の事である。買い物やレストラン で注文をしたりといった、こちらのいうことだけで”事”が済めば、さしたる支 障は無い。しかし、相手が何か言ってきた時、語学の不得手な私は冷や汗もので、 全神経を耳に傾けヒアリングに努めても聞き取れない。勿論、相手にゆっくり、 そして簡単に話してくれるように伝えるのだが、それでも聞き取れない。乏しい語彙を駆使し、頭の中で何回も英作文を思い浮かべ、意を決してやっと 口を開き何とか相手に用件を伝えようにも真意が中々伝わらない。非常にもどか しい思いを繰り返した。
そんな私の失態に娘はすかさずフォローアップしてくれ るのではあるが、父親として情けない。語学を改めて学ばねば!と思う反面、日本の語学教育は・・など、自分の語学力の無さをあらぬ方に矛先に八つ当たりしたり。生活習慣も大きく異なり、戸惑いの連続で、周囲の会話には付いて行けず、 つい黙りがちになっていると、「笑顔がたりない、スマイル、smile」と厳し い娘の声。加えて、地理に不慣れ。迷子にでもなったら無事に宿まで帰れる保証 はない。ここはじっと”我慢の子”。「娘の言いなりになる外はない」と決心した。

さしずめ言語障害者、聴覚障害者のごとき心細い心境であった。 さりとて、相手とコミュニケーションが取れない以上、話し手の顔を見つめ、 時々分かる単語や話し手の表情から懸命に話の状況を汲み取ろうとするものの、 集中力が続かない。すると視線は周りの景色などに移り、自分の中の思考に浸る ことになる。傍目にはむすっとして、とてもフレンドリーな態度には見えなかっ たであろう。するとすかさず、娘の「 スマイル、smile!」。レストラン で食事をした際も、給仕の皿の上げ下げ時にも「にっこり!、スマイル」を娘に 強要された。「何で金を払っている客が媚びスマイルをしなければならないのか!」 と思ったほどである。環境が違うということはこんなにも理不尽なことなのか? と改めて感じ入った。そしてこの時、ふと要介護老人のことが頭をよぎった。自分の思いの丈を充分 伝えられず、相手の発する言葉も理解できず、そしてたとえ理不尽だと思っても 相手に己が身を委ね、従属しなくてはならない歯がゆさ・もどかしさ。そしてそ れを認めざるを得ない現状認識。いや、この現状さえも理解できない状態に置か れている高齢者も大勢いる事だろうと私は思った。要介護状態とはまさに異国に 来た時と同じ。見当識障害状態に加え、突然前後の脈絡も無いままにわが身を投 げ出さざるを得ない状態にあった方々も多かろう?障害を持つお年寄りの気持ち を理解する上で非常に有益な娘とのひと時であった。自立した生活を送れない方 々はさぞかし面映い体験をし、現状に不満を抱きつつ、じっと耐え生き続けるこ とを余儀なくされている。在宅などで沢山のお年寄りの生き様や死に様を見てき た事と重なり合って、これがこれから自分たちの進む高齢者への道なのかと思う と複雑な思いがした。今のうちに社会を「もっと高齢者に住みよい環境に変えて いかなくては!いつか自分の介護される番が来る前に・・・」と。

今回はひと時、Handicappedな体験を垣間見た貴重な異国の旅であった。

福田 純 (2004.3.26)