長寿を心から喜べる社会に!

北京では今まさにオリンピックの真っ只中。日本人選手が活躍し獲得するメダルに期待が懸かる。水泳の北島選手や柔道のやわらちゃんが獲得したメダルを一般の日本人なら素直に喜べる。しかしながら、その感性がなくなってしまったとしたら、それは非常に悲しい事だと私は思う。

先日、厚労省は07年の平均寿命を発表した。女性が85.99歳、男性が79.19歳と過去最高を更新した。さらに女性は23年連続の快挙、男性も第3位で、堂々の金メダル、銅メダルの獲得である。

仏教では“生老病死”を“四苦”という。四苦八苦のそれである。これらは人間の生まれ生きる苦悩の源とされ、日本はそれらの要因を種々改善・解決し、勝ち取ってきた結果の平均寿命世界一である。その主因は1960年代までは乳児死亡率の減少で、その後は中高齢者の成人病を中心とした病死減少が後押しした。国民への医療の貢献が最大の要因であることは誰しもが認めるところである。にもかかわらず、最近の日本ではこの偉業が必ずしも歓迎されていない。

今年4月、国が施行した後期高齢者医療制度もその表れで、多くの高齢者から「姥捨て山」呼ばわりされ、これの廃案に向け既に法案は参議院を通過した。さらに、お年寄りから「私、長生きし過ぎちゃった」との肉声も聞こえてくる今日この頃である。何時からこんな悲しい、心貧しい国に日本はなり下がってしまったのだろう。高齢者が幼い頃、自ら体験し思い描いてきた「お年寄り像」とはあまりにもかけ離れた悲惨な現実や未来が思い描かれているためであろう。

これらに対して何が必要だろう?老後の安定した生活設計がくずれ、将来に希望を持てなくなっても、いたずらに不安をかき立てる愚を冒してはならない。解決策としては、まず年金・医療・介護など社会保障の充実であろう。まずは“生活の安定”が不可欠で、特に老後の生活不安を抱かなくて済む社会の構築が必要であろう。そのためには政治のなす働きが大である。最近まで、政治家の心根が悪かったり、志が低すぎたりしたせいもあったであろう。それには愚劣な民主主義がその根本にある。

 不老長寿は神代の昔から今日に至るまで多くの人類の願いであった。現代よりずーっと長命は稀有であり尊ばれ喜ばれていた。天寿・寿命といわれ、古今東西「寿」であったはずである。なのに今の日本の現状たるや何たることか。「こんなに長生きするんじゃあなかった」とお年寄りに言わせる社会の貧困をもう一度考えてみて欲しい。

  2008.8.11    ふくだ内科循環器科:福田 純